津村記久子【高48期】『第140回芥川賞受賞』

2009年06月30日(火)
大阪「パート作家」の愉楽 

〔プロフィール〕つむら・きくこ78年大阪生まれ。大谷大卒。05年「マンイーター」(単行本「君は永遠にそいつらより若い」)で太宰治賞。「カソウスキの行方」が1月と7月の芥川賞候補作に。大阪市在住。

大阪で小説を書くということは、なんだか在宅のアルバイトをしているような感じだ。昼間は会社員をやっているので、余計にそう思うのかもしれないけれど、東京で書くよりはきっと「納品」とか「作業」といった言葉が頭によぎる回数が多いと思う。平日は。昼の仕事がはけてから、小説を「納品」するための「作業」に従事する。休日は、友達との待ち合わせまでの空き時間、もしくは、自宅で。在宅のアルバイトをしている感触なら、他の地方で書いてもあるものだろうという反論も予測されるが、大阪で書くということの良さは、この「納品」するまでの「作業」の環境にある。パート作家のようなものになってから、会社帰りに寄り道をする回数が増えた。外食をしながらゲラを見たり、その日の夜中に書く部分についての下書きをしたりする。定時が近付くにつれ、今日はどこで作業をしようかと考えていると、パートの辛さとはまた別の楽しみのようなものが見えてくる。
主に、仕事先のある天神橋筋六丁目、梅田、難波、心斎橋に仕事を持っていく。時々は本町にも寄るし、北浜に足を伸ばすこともある。大阪の面白さの一つは、梅田、淀屋橋、本町、心斎橋、難波、と毛色の違う街が隣接して、地下鉄御堂筋線の赤いラインでつながっているところにある。御堂筋線の定期さえあれば、それぞれの駅の個性を手軽に満喫できる。わたしがなかなか会社をやめられない理由の半分は、この定期にあるといっても過言ではない。わたしはとてもケチなので、定期がなくなると外出しなくなるのに違いないのだ。それが怖くて会社に行っている。逆に、定期の範囲外の駅で降りても、それはそれで電車賃のぶん精が出る。しばらく行っていない街の風景を眺めると、それがそのまま小説の素材になったりもする。大阪は、仕事の持ち歩きと寄り道に適した街なのだ。ときどきは、仕事を持って少し遠出する京都や神戸に行くのである。奈良にはまだ一人で行ったことがないけれど、そのうち足を伸ばしたいと思っている。結局やらない仕事をかばんに入れて、京都や神戸をうろうろするのはとても楽しい。今日はこんなに違うところに来た、さてあの店に入れば今持っている仕事が劇的にはかどったりするだろうか、などと考えながら、大阪とはまた違った街並みを眺めながらぶらぶらする。友達のお姉さんは、大阪に生まれて幸せ、といってはばからないという。だって、京都にも神戸にも奈良にも日帰りで行けんねんで、と。そう言われると、ますます大阪から離れがたいという気分になってくる。大学が京都だったので、京都を舞台にした小説を何本か書いたけれど、現地に行って地理のつじつまなどを確かめながら、あらすじを考えるのはとても楽しい作業だった。狭い都道府県であるがゆえに、他県への移動がしやすく、複数の準地元のようなものが持てるのもいいのだ。それも、京都、兵庫、奈良、和歌山、とそれぞれに個性の強い県が隣接している。和歌山のことがあまり話に出てこないが、わたしは昔、和歌山と大阪の県境の近くに住んでいて、何か大きな買い物をするというと、紀の川を越えて和歌山市まで出たものだった。あのあたりの海と山のことも小説に書いてみたいと常々思っている。みかん畑と道路沿いの廃モーテルと新世界と証券取引所と金閣寺と銀閣寺とハーバーランドと三宮センター街とならまちと大仏。大阪人はこれらそれぞれを日帰りで見ることができる。友達のお姉ちゃんの言葉は決して大げさではない。わたしはそこに「作業」を持って、いつもとは違う空気を眺めに出かける。それはもしかしたら、非常にぜいたくなことなのかもしれない。なので、当分は大阪で書くということはやめられそうにない。
【朝日新聞二〇〇八年二月八日夕刊より転載】



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